ラリー

年を取ると昔の事を思い出す。また、語るという。

自分も年か?と、感じる程、最近昔の事を思い出し、また夢も良く見ます。

と、言う事からインカ・ラリーの際の写真やら後日参加者に送られた本を引っ張り出してみました。

 


2輪競技はロード・レース ラリー、エンデューロそしてトライアルに順に危険度が低くなると言われていました。

つまり、スピードの順番。

 

実際、私に経験したインカ・ラリーでは当時参加したマシン(88.2ストロークKTM350)では5速全開での最高速はメータ読みで140㎞/hで走る場面も多々ありました。それはリエゾンもそうですし比較的フラットな砂漠とか塩湖等も同様。

余談

翌年の89モデルはパワーアップされて150km/hを記録しました。

このマシンのすごいのは全開のまま走れる。と、いうまるで4Tの様な信頼性を持っていました。しかも軽くし我々レベルの走りであれば壊すこともない。

ただ、高地用にセットされたセッテングのままだと海抜0mではチョークを引いて走行するなどの手当ては必要でしたが。

余談

混合マシンで4000kmのレースでしたが特に苦労したとか、混合が面倒だとは思った事はない。根っからの混合好き、2T好きですね。

 

言えるのは2輪競技の中では最も「旅」的な要素が強いのがラリーであり、冒険を体感できるのも唯一ラリーだと思う。

つまり、速度が速いから危険な競技ともいえるが同時に最もロマンチック的要素にあふれているのもラリーではないかな?と、個人的に思っております。

 

街から街に毎日長距離移動。

その土地、土地での人々との出会い、何より長距離移動ならではの忘れえぬ出来事などドラマが満載です。

正直、私などは走行の中では辛いとか、転倒した場面と言ったアクシデントも覚えておりますが毎日走行後の修理整備そして知り合った現地の女性との食事、デートの記憶が最も多い。同時に現地の人々に助けていただいた、親切な場面は忘れえぬ思い出となっており生涯の宝物となっている。

 

最も初めての国際ラリー(1988)だったかもしれませんが、翌89年に参加した状況も同じように鮮明な記憶のまま残っている。

 

その一つの記憶を紹介します。

SS400km~500Kmとなると、まさしく果てしなく続く感覚で走っても、走っても距離が進まない感覚に陥る。

その日はSSが400㎞程度だったと思うが4000m級の山越えを経て山奥にある軍隊の野営地がゴールだった日の出来事。

 

ゴール近くまでは元気でしたが先を走るライダーに追いつき、ちょっとしたバトルになった。追いついたのだから譲ればよいのにしきりにブロックしてくる。レースだから当然ですが埃がひどいし、速く抜きたい気持ちからちょっと熱くなって仕掛けたらこっちが転倒。

幸い怪我はなかったが、マシンには深刻なダメージを受けてしまった。

それはチャンパーに亀裂。と、言うか折れた。

その後のゴールまでは高地と言う事も重なりまるで50ccの様なパワーとなってしまった。

 

パワーの失ったマシンをやっと、やっとゴールまで運んだ。パーツ・トラックを待つつもりだったが山奥故にパーツ・トラックはやってこない事が判明。

幸いにも順位は落とすことはなかったが、このパワーでは明日スタートしても途中焼き付きの恐れもあり走り切る事は不可能なのは明白。

皆、疲れた中で明日の為に整備している中で助けも望めない。

 

とりあえずチャンバーを外しwelding!と、言いながらチャンバーを振り回しながら聞きまわっていたら村人が街の鍛冶屋に連れて行ってくれた。

その鍛冶屋は既にその日の仕事を終えて食事中だったが、言葉が判らない中で折れたチャンバーを差し出すとうなずいて事も無いように、しかもへこんだ部分は反対側に穴をあけ棒にて凹みを修正、更にちぎれたチャンバー・スティも修理してくれた。

しかも、お金を差し出すと要らないという仕草である。

あの情景を思い出すと今でも涙が出る。

 

大げさではない。

こういう旅というかレースをしているとマシンはいつしか相棒となり、とても大事な存在となる。

つまり、人間もそうだがマシンが壊れたらそこで自分のレースも終わるのですから。

 

また、水没リカバリー後の空キックによってイグニッション・コイルが損傷したらしくエンジンがかからずにいた時である。

同じマシンのライダーが「俺はクラッチが壊れたから俺の部品使え」と助けてくれた。

 

それはとてもありがたくて嬉しかったが水没によってタイムを大幅に失った結果、そのSSのゴールには役員もいなくなっており、その後は一人リエゾンをゴール目指して走る事になった。

ここまで来たら遅くなっても仕方ないし、なにより水没によってミッションに海水が入った為でしょうギャーの入りがとても悪く。また、お尻が痛くなるので一時間ごとに休みつつ走りっていると名も知らぬルート途中のとある街にて大声で呼び止められた。どうせ遅れているからと止まったら「ビールを差し出してくれた」

ご存知の方もおいでになろうが私は下戸でアルコールは一切飲まないというか、飲めない。でも、この時の冷たいビールの旨さもまた忘れられない味。

 

参加しなければ、走って見なければ得られない冒険と言えるでしょうラリーは。

エンデューロも大好きだが今はラリーの思い出の方が多く、しかも思い出される。

 

ロマンチックな話もあるが、次回チャンスが有ればまた。

尚、画像は88と89混ざっています。

 

881

89

882


 

881は88年の最終SS。

882は途中のSS

89は89のプレ・スタート待ち