2022

新しい年が始まりました。

今年もtmそして弊社をよろしくお願いします。

 

新しい年は嬉しいのですが昨年仕事終わりの日にトラブル発生。して、まだ解決していない。

また、友人たちとの集まりが年明け早々中止。

当選チェックに宝くじ売り場に出かけたら最初はお休み、二回目は7日からと言われて、なんだか雲行きが年頭から良くない感じでしたが、すでに過ぎた話です。

ま、これからは良くなると信じて前向きに過ごしたいと思います。

 

さて、実は新年の初夢と言うか夢見がとてもよかった。

それもバイクにまつわる夢というか現役の時に走っていた時の頃の夢を見ていました。はっきりどの様な場面なのか?と言う記憶は定かではありませんが朝目覚めてとても嬉しい感覚、懐かしいというか?そんな初夢で良い目覚めでした。

 

そこで昔話につながりますが、初心を忘れない為に今の自分のルーツともいえるレースを紹介します。

時代錯誤と言わないで興味のある方はお読みください。

 

1984年11月日本で初めてとても本場チックなヨーロピアン・エンデューロが苫小牧市近郊のウトナイ湖周辺にてInternational 2days enduro(I.T.D.E.)という名称にて開催された。

2日間 一周約50㎞を一日5周と合計で500kmとの触れ込み。

実際にはラップ40㎞ほどだったと思われますが、それでも全走行400㎞と言うのは現在のエンデューロと言う競技はとてもエンデューロと言えない程の長さ。

余談

キチンと本場を勉強された方のアドバイスを受けての開催。今の主催者主体というか誰かの都合のイベントとは全く違い参加ライダーの満足度が高いイベントだったと思う。

 

確か雑誌のイベント紹介で開催を知った。

参加申し込み窓口は今尚続く老舗「アメヤ」さん。

申し込みに行くと「KTMが7~8台エントリーしているよ」って、言われたのを鮮明に覚えている。

最も当時の私は「バイクは国産が一番」って、固く信じており「だから?」って思っていましたが参加してみて外車の強さと言うか、当時の国産との違いに打ちのめされました。

余談

思えば当然。

KTMは当時唯一と言ってよい本場のエンデューロ競技の為のマシン。かたやツーリングもできる、山も走れるという至って普通のトレール・バイクですから走破性、パワー、特に安全性など比較するのが間違い。

稀にITとかXRなどと言う参加車両もありましたが参加の8割以上が国産トレール。

 

私のマシンはその年に発売された(だったと思う)DT200R。

普段はKXにてモトクロスごっこが主体でしたが、当時から山の方が好きでトレールは毎年のように乗り換えていました。(前年まではMTX200R)

 

当時はエンデューロ・タイヤなんぞ無くMXタイヤが許されており確かダンロップのK990(だったと思う)を履いた。(あの辺りは火山灰ですからね)

後はフォーク・オイルを固めに変更した以外完全なノーマル参加。

知識がなかったのでファイナルすら標準での参加となった。実際にも社外部品もなかったと思う。

つまり、もう、結果は知れていますね。

今思えばフレーム、サスの容量がない故の安定感の無さ(挙動が敏感)、トルクの無さ故のトラクションの無さです。

 

国産トレールしか知らない。マシンの違いなど全く想像もついていない。エンデューロを知らない。山の中のそんな長距離等走った事がない。

結果、初日に大転倒して肩を強打して左腕が挙がらないほど痛めた。

幸い骨には何もなかった。

しかし、バイクはスタート時、新車状態に近かったが初日終了時にはもうボロボロであり、廃車か?と、思う程痛んでいた。

度重なる転倒でハンドルは曲がる、グリップゴムは緩む。タンクはへこむ。メーター、ライト周りは完全に崩壊。さらに各部も擦り傷だらけ、エンジンから異音そして何よりスポークや各部は緩んでガタガタでした。

余談

あのバイクの状態であと一周あれば間違いなくリムとスポークがバラバラになりリタイヤしていたと思う程ガタガタに緩んでいました。

当時は修理に制限がなかったのでピットとして来てくれていた友人たちが初日ゴール後懸命に整備してくれたが、本人は肩が痛いのとバイクのイタミに落ち込んでいました。

今でも、もし400㎞にも及ぶ長距離のレースが開催されるなら勢力図は変わるでしょう。

 

翌朝は体力も回復、痛みも結構軽くなった(サロメ・チール効果)ので元気にスタート地点にバイクを持って行ったがキーが入らないというトラブル発生。つまり、北海道の11月23日と言う晩秋故に鍵穴が凍結してしまった。

余談

若かった!

 

ライターであぶって何とかスタート。

初日から見たら余裕が出来たのか、意外に走れた。

その為なのか?MXタイヤのグリップが急速に感じなくなり。途中、あまりにも滑るので下りてタイヤ周りをチェックしたほど。

 

二日目は昨日の逆走ですから、昨日の下りは当然登りになる。

その一つを昨日は下りながら「明日はここ登れる?」って考えたほどのサクサクの火山灰の急な坂を思い出し、気持ちにも立ちはだかった。

当然、大渋滞も発生していました。

そこで呆然としていたDT125のライダーに「200なら登れるって」励まされた記憶も鮮明。

待っていても仕方ないので自分は確かルールを変え藪の方にラインを変えて何とか押しながら登ったと思いますが。

その脇をKTM250が豪快に登って行ったのが今尚目に残っています。

 

また、全編火山灰でしたからギャップがひどく、トレールの快適サスではいかんともしがたくそれでも歯を食いしばって5速の全開で必死に走っていたが、その脇をKTM125が快音と共に抜いていった。しかもその速度の差が半端ではなかった。以後この話を何度も話すほどの衝撃を受けた。

 

最終的には完走、シルバー・メダル(12位)で終えました。

参加は確か85名名程度。

 

レースを終えDT200を修復後、アメヤさんにKTM購入に向かいました。

以来、95年までKTMと過ごし(ビジネスも含め)、89年にtmに出逢ってからに現在に至りますが、この第一回I.T.D.E.参加から今の状況、ビジネスに至ったのは紛れもない事実。

 

同時にこの翌年から道内各地にてエンデューロ・イベントが開催。

しかも今とは全く違っていかにもアマチュア・チックで和気あいあいとし、メーカー色やビジネスなど一切ない愉しいイベントばかりでした。

弊社と言うか?私の頭はこの当時のまま。

 

時代についていけていないのは自分も承知しておりますが、きちんと真面目にビジネスしていれば結果はおのずとついてくる。と、信じて22も進歩していきたいと思います。

 

皆様の2022そして明日も素晴らしい日になる事を願い、また、皆様にtmと遊ぶことの愉しさを、紹介できる喜びと共に年頭の与太話とさせていただきます。