忘れえぬ日々

「忘れえぬ日」は誰にもある。

 

忘れえぬ日なんて言うとロマンチックな響きですから異性との出会い、初恋といった甘酸っぱい日々を、また、なつかしさは学生時代の部活、友達との日々の中の出来事を思い浮かぶと思う。

また、家族との過ごした日々とか、兄弟喧嘩、友人たちとの日々等という思い出もある。

社会に出てからの仕事の中での失敗や成功と言う出来事や人間関係もある。

そんな日々の中、特に忘れえぬ日があります。

 

更に我々だとレースとか、バイクにまつわる出来事の中にも「忘れえぬ日」と言う物はありますね。

 

私のバイクに係る忘れられない日々の最初は中学生の頃、祖父の葬儀の際、従兄と親戚のオジサンのバイクに二人乗りして川に落ちた際のちょっと濁った水の中の映像。

また、初めて外車のあまりの素晴らしさに「腕の差じゃない、バイクの差だ」と感じた瞬間。

初めての海外レース、また、初めてtmに乗った日の「今までのは何だった!」という驚きと感動も昨日の如く鮮明です。

 

等々、自分が携わった、過ごした部分の中でそれぞれ大事な日々だと思いますが、そういった思い出と言うのは今や人生の宝物になっています。

 

長い余談

この数年、昔のレコードをネット・オークションや中古レコード店で探している。

レコードと言うのはスクラッチ・ノイズ(レコ―ドのパチパチするノイズ)がお約束。まして中古なら尚更。

でも聴くとそのノイズも含めて当時の情景や思い出が、時にはその時感じた香りまでも脳内を駆けめぐる。

また、その思い出に時に鳥肌が立ったり、感動する自分がいたりします。

その曲と共にその時までは忘れていたが「懐かしい、甘酸っぱい、痛い、悲しい、嬉しい等」などの思いと共に「今は忘れていたが、その時点では忘れられないと思っていた事」「忘れえぬ出来事、日々」が物の見事に浮かびあがる。

しかも鮮やかに。

そんな古いレコード+昔の曲に今とても癒され、また、時に溶けている。

音楽(レコードの)と言うのはタイム・スリップというか?私にとって忘れえぬ日々へのタイム・マシンになっている。

 

バイク、車は?

初めての車はホンダS600。

入手したのは大学二年、19歳の時に当時40000円で先輩から譲り受けた。

当時ですでに9年くらいたっていたし、手入れが良くなかったのでボロボロ状態でしたが絶対というか生涯忘れられない車であり、手放してしまって以来チャンスが有れば欲しいと願っていた。

ただ、30年ほど前S800に乗る機会があって乗ってみると「思い出だけにしておけばよかった」と、感じたのもまた事実ですが。

余談

いつまでもS600が忘れられずS660を買おうと試乗したり、ビートを入手したがやはりS600とは違う。と、いうか?なり得ない。

S600はS600であり19歳当時S600と過ごした思い出は他では得られないのです。

 

また、96 & 99tm125

これもまた忘れられないマシンです。今でも乗ると「素晴らしい」。

 

左が日本で初めて上陸した96tm125。右は日高山中で撮影した99tm125ロマン・ミカリク仕様。

 

S600にしてもtm125にしても若かった、という事もあり印象が良すぎ、強すぎて「忘れられない」が、経験を積み進化している現在のマシンとは違う。

良い悪いではなく機械と言うのは新しい物がより進化しているから他ならない。

 

忘れえぬ日々の中に車も存在するが、あくまでも主役にはならない。

但し、これらは私の主観です。

初デートの車は覚えてはいても、助手席の彼女の横顔以上のときめきはないでしょう。

いや、車やバイクにもときめきはあるが人とは違う。

ま、車のバイクも忘れぬ日々の色どり、情景の一つであり、音楽は思い出の引き金になるが、昔の車ではなつかしさはあっても胸キュンは無いと思うのだが。

余談

だから今、旧車(車もバイクも)が異常ともいえる高値が付くのでしょうかね?

私なんぞはユーミンを聞くとエアコンのないKGC110スカイライン+真夏のドライブを思い出す青春の一コマでちょっと「きゅん」とはします。

だからと言って自動車もバイクも昔の機械はあまりほしいとは思わない。

「忘れえぬ日」は色あせない、つまり、良いきれいな「思い出」は永遠。

 

ま、十人十色ですが。