ダカール・ラリーに想う

今年のダカール・ラリーも終わりました。

また、CRFは残念ですが勝てませんでした。マシンの動きはKTM等にそん色ありませんが・・。

ここまで勝てないとなるとチーム一新というか、チーム体制を考えるべきなのかもしれません。

は、余計な事でした。

が、今年は10日間で5.000㎞と、しかもペルー一か国開催と聞いてどうしても昔自分が参加したインカ・ラリーと重なってしまい思わず・・。

1988年当時のインカ・ラリーは10日間4000km。

今回ダカールでのルートはリマ、イカそしてアレキパ等と聞いて自分もかつてその地にてラリーを戦った事を思い出し思わず体中の細胞が活性化というか若返ったようにパワーが湧き出てきました。して、当然のように当時の事がまるで昨日の様によみがえってきたのです。

それでちょっと思い出話になります。また、過去に何度か述べたように思いますが、よろしければお付き合いください。

 

31年前の1988年

初めて参加する国際ラリーであるインカ・ラリーの舞台となるペルーの地に降り立ちました。その初めての土地は上空から見るとそれこそ何もない茶褐色一色の大地。澄み切った青空とのコントラストがとても印象的でした。

88年はアレキパ(我々はアレキーパと呼んでいました)からラリースタート。

初めての南半球そして国、初めての言葉と初めて尽くし中での初めての国際ラリー参加に戸惑いながらもワクワク状態というか軽く興奮状態だったと思います。

それはその時々の情景を、些細な事、匂いさえも今でも鮮明に思い出せる事で証明されるでしょう。

 

アレキパ自体海抜2400m程にある高地。

暑くはないが日差しが強くてサングラスは必需品。

そんな日差しの中、アレキパでの指定されたホテルについて最初に行ったのはブーツをお風呂に漬け柔らかくする事でした。

88年はガエルネさんよりスポンサードいただいたのですが、さすがに新品でいきなりはつらいとばかりに強引でしたが日の当たるバス・ルームにて水をためてブーツを放り込んだ情景がよみがえります。

余談

ブーツの他、スポンサード頂いたメーカーさんの紹介。

ヘルメットはアライさん。ライディング・ギャーはアピコ(イギリス製)さん、ゴーグルはスワンさん。

また、チェーンはRKさん、工具はKTCさん。NGKさん。また個人的にはダンロップさんと、お客様たち。

 

荷物の整理など一段落ついたので一人ホテルの外に出ると入り口には主催者(アチャルビス)が準備したのでしょう参加レンタル車両であるKTM350ラリーバージョンが展示されており、その周りにはかなりの人だかりができていました。

 

その中、一人の女性が目に入った。

何気に声をかけ、英語がわかる?と、たずねるとa littleと、の返事。自分を指さしてハジメというとパトリシアと言う答えが笑顔共に帰ってきた。

真ん中がパトリシア、左右の女性たちがパトリシアの姉。場所はリマの彼女たちの親戚の家。

 

パトリシアは当時19歳。

アレキパにはレースの日を入れて1週間滞在。

パトリシアは二人の姉と共にそのアレキパ滞在中、私だけではなく我々日本人チームの食事や買い物などの面倒を見てくれました。

その間、二度パトリシアと2人で食事に。

意思疎通が完璧じゃないデートって、色々あって愉しかった。

いずれにしても彼女たちのおかけで随分、助けられ同時に愉しさは数倍となった。なにより心強かったし、ありがたかった。

 

また、まだレース前でしたので夜にはナイト・クラブにも。

さすがにラテンの国ならではのラテンミュージックのノリの良さ、生バンドの上手さ、迫力はすごかった。

そのバンド・マンより“すき焼きソング”のリクエストから恥ずかしながら歌うとその後、何か英語の歌を。と、促され、じゃ“ダイアナを”と、唯一、歌詞カードなしで歌える英語の歌を生バンドバックに披露。

以来、キニ(ハインツ・キニガドナー)より“お前はこれからポール”だ。と、以来ポールと呼ばれるようになった。

そのイングリッシュ・ネームはtmと付き合うまで続きました。

 

さて、まずはマシン・セッテング。

パルクフェルメで受け取ったマシンはキャメル・カラーの2ストロークのKTM350。

これは主催者アチャルビスが用意してくれたレンタル・マシン。

通常のEXCだったのかDXCだったのかは不明ですが、すでにタンク(27L)などはすでに変更されていました。

ですからセットアップと言ってもチェーンとか、サイレンサーを交換、またマップケースを装備するくらいですが、何せ新車。

すでに組み立てられていましたが、これから4000km一緒に走るわけですから今一度点検の意味も含めて再組立てです。まして当時自分はKTMを主に販売しておりましたが日本では350はあまり触れたこともありません。当然その時まで乗ったこともない。

 

当時のKTMのアキレス腱の一つがメーター・ギャーボックス。何もシールされていませんから泥の中を走ると一発で壊れます。

ラリーで速度計(距離)が読めないのは命取りなので対策された。もしくはラリー用になっていることを祈ったが通常の物が付いていたのでがっかりしたのを昨日のように思い出せます。

ニップルを取り付けてグリスをこまめに注入するしか方法がありません。

余談

88KTM350は今考え直しても名機。翌年の89モデルは更に素晴らしくなった!

2ストロークでラリーに使えるマシンの筆頭。と、いうか当時も今もこの価値を持つマシンは他にはない。

パワーだけなら同じ500の2Tもありましたが、始動に難があって誰でも始動できるマシンでなかった。

 

タイヤは主にMT17とミシュランデザートを使用。

パンクが嫌で空気圧は1.5psiと、高めにしましたが、高地ですから標高が上がるにつれてタイヤの内圧がさらに上がってよく滑りました。

同じ理由で標高が上がるとサスの内圧も上がりますので異常に固くなる。疲れてくると腕がちぎれそうな痛みがギャップ一個一個から襲われる。更に燃料が少なくなると軽くなってサスが動かないのでタイヤが上下ではなく左右にはねる。

チューブはウルトラヘビー二枚重ね。当時はまたムースはメジャーじゃありませんでした。

 

350はチューン・レベルも高くなく良い意味でドロドロって感じの回り方は実にやさしく、力強さに満ちていました。しかも遅くないし2Tですから軽い。

何より当時左キックが何よりでした。

余談

88モデルはメーター上では140㎞が最高速。89モデルではエンジンがとスムースと変貌。またパワーもアップしたのでしょう最高速は150㎞までアップ。特筆すべきはほぼ最高速でクルーズできた事。つまり、常時全開!

 

ただ、このラリー、海抜0mから最高4700mの山越えが一日のうちにありますからキャブレーションがとても大事になります。

 

余談

そういえば今のラリーマシンはEFIですから、キャブレーション変更の必要がないわけです。いやはや便利になったのです。でも、標高からキャブレーションに苦労するって今は良き思い出です。

キャブのセッテング

翌日のコースを役員が試走して大体のキャブレター・セッテングをブリーフィング時に教えてくれます。

それを元に、それぞれが自分に走りに合うように、勿論、一番高い場面に合わせます。ちなみに最高で4700mまで上がりました。

同然、上がれば下がるわけで4000まで上がり、海抜0まで下がる場合も。

 

何故?一番高いところに合わすかと言うと、空気が薄いと人間もおかしくなりますから機械の不調に対応しにくい。

しかし、その標高に合わせますと、必ず海抜0とかの平地では今度は薄すぎて思うようにパワーが出ませんし、走れません。また、焼き付きの恐れが出てきます。

この場合はチョークを引いて対応します。

この様に薄い分には人間の行動というか知恵で対応可能ですが、高地で濃いと機械を触らないと走る事もできなくなります。