tmでなければならない理由 Vol2

初めてtm125に乗ったのは96年の5月だったと思う。

そんな春の陽気に包まれたある日、その頃よく走っていた地元の炭鉱跡に至る林道、作業道にてtmのスロットルを開いた。

日本初のtmは日本の春の空気を吸い込み音楽のようなサウンドと共に走り始めた。

その排気音のぞくぞくするような快音はtmがくれた最初の感動であった。

大げさではなくそのエキゾーストサウンドは実に“よい音”だった。

いいえ、ただ単なる音ではなく音楽そのものと例えられよう。

走り始めて徐々にtmと会話が進むとスロットルワーク、負荷に合わせてあたかも歌うようだ。

そのまるで音楽の心地よさ、気持ちよさに初めての車だったホンダS600の奏でるホンダミュージック以来の興奮というか高揚感が重なりました。

そう回せば回すほど高揚し、その快感からさらに回してしまう。

余談

車やバイクが発する音というのは好き者には大事な要素。

して、その秘密、tm場合は材質にもある。

例えばヘッド外してハンマーで軽く叩いてみるといかにも密度の濃い、キーンと高い澄み切った音を聞くことができます。つい最近、自分も他の4機種のヘッドと比べてみて違いにその驚きました。(この時は4Tでした)

tm単体では分からないでしょうが他の同じ部品と比べると明確。

Rスプロケットも同様なのでヘッドよりお手軽なので是非お試しあれ。

 

乗り味というか乗車フィール。

軽快の一言。

125だから軽いのは当たり前。でも、他の125エンデューロ・マシンと乗り比べても軽い。しかし、反面安定感がすごくてどこでも行けそう。

驚いたのは狙ったラインにピタッと入る圧倒的なスタビリティー。って、言いますかそれまでのマシンは狙ったラインに入れなかった事に気が付いた。

カチッとしたフレーム強度もそうだがそれを支えるサスペンションのスムースさはどうよ!

当時は挙動が鈍感という言葉も意識もありませんでしたが、他と乗り変えると同じ路面が別の路面と化し、あたかも轍やロック、横たわる木の枝が消え去ったようでした。

あえて言うとtmの後では怖くて他が乗れない。

余談

当時tmのフロントフォークはマルゾッキマグナム45。Rはオーリンスの組み合わせは当時のKTM、GAS GASといったエンデューロ・マシンも採用。

 

前のマシンも同じサスペンションユニットを装備していた125のエンデューロ・マシンだったのでサスペンション自体のその良さ、素晴らしさは知っていた。

でも、乗り味、フィールは全く別物。まったく同じサスとは信じられないほどの違いを感じさせた。

確かにフレームが違いますが・・。

これもまた驚きというか感動である。

なぜなら実際同じサスを持ったマシンがそこにあって直接比べるのですから、違いは嫌というほどわかります。

余談

それもそのはずで、後で分かったが、同じマグナム装備ながらそれぞれ仕様に違いがあった。例えばカートリッジ(ダンピング調整の数など)、オイルシールの厚み、インナー、アウターのサイズ、長さに加えてメッキの質等といった品質にも違いがあった。

当時tm装備のマグナムも今のKYB同様に最も吟味されたというか、高価というか、良いものをtmに合わせて選択。

 

エンジンもそう。

当時、まだ、それなりに走れていた為もあり、それまでの125のマシンはパワー不足からファリオリのシリンダーを組み込みキャブやチャンバーを変更するなどのチューンを施した。しかし、根本的にパワー不足が解消したわけではなく、チューン後はヘッドガスケット吹き抜けなどといった耐久性に不安、不満が付きまとっていた。

が、tmエンジンはそれをまったく無意味とするほどのストックのままパワフルでよく回り、そして壊れない。(この部分は後述)

 

125の常識を覆すtmのパワーというかエンジン。

当初は確かにボトム付近のトルク感はそれまでのマシンに分があったように感じましたが、低速から中速のつながりのスムースさ、何より圧倒的な高回転のパワー、伸びは圧巻の未体験ゾーン!

しかもシャーシの安定感もあってスムースで速いのだ!!!

当初感じたボトム付近のトルク感の薄さも後日、冷静になってわかったが中速以降のパワー故の物足りなさから感じただけだった。

 

なにより、エンジンフィール。

まさにシルキータッチというか、滑らかに回転を上げる様に色気すら覚えた。

 

そんなtmの際限なく回り歌うエンジンとシャーシの走破力と速さ、パワーの違いは国産トレールから外車エンデューロに乗り換えた時のショックに等しいほどの衝撃というか感動を受けた。

そう、今まで自分が見ていた、信じていた世界がtmによってまたひっくり返ったのです。

 

乗りやすさ

バイクに対して良く言われる“乗りやすい”と、いう言葉があります。

tmには乗りやすいという言葉は似合わない。と、いうか誰にでも乗りやすいとは言えない。ただ、ライダーレベルが高ければ高いほど本領を発揮できるマシンという事実。だから、乗り手のレベルが高ければ高いほど“乗りやすい”“扱いやすい”。

 

tmから感じるのは未知のオフロードを安全に、速く、正確に走破する。この目的だけに造られたマシンが持ちうる“潔さ”。

ライダーを高揚させる、けしかける。

でもレーサーである以上それが当たり前の事でこれこそがレーサーに対する誉め言葉であり、乗りやい。というのはレーサーには誉め言葉とは言いません。

 

そう、そんな“潔さ”こそ“心を熱くする感動の世界”  を乗り手に見せてくれる。

人を感動させる能力というか、力を感動力と言うと聞いたことがあるが、乗り手に与える感動力を持っているのがtm。

その感動力が圧倒的なのがtmであり、“よい、悪い”また“高い、安い“と、いった他と比べる次元を超越する世界を見せてくれる。

それがtmの価値。

 

一般人が普通によく言われる“乗りやすいバイク”などに乗り手の成長は見いだせませんし、レーサーとして存在理由があるのか分からない。

tmはレーサーで速く走る事がすべてで、その為には安全性、信頼性も十分備わっています。

 

してtm250

125に続いてやってきたのが250。

このマシン、まさしくジャジャ馬というか、かつてない未経験のパワーを持っていた。それはかつてYZ250エンジンを搭載したクラミットというエンデューロ・マシンを思い出させた。

とにかく圧倒的なパワーとピックアップは私のレベルでは持て余すほどであったが、雑誌試乗で訪れた“パレ那須”のコースで乗った際にパワーも驚きながらもその高い走破力に目を見張った!

 

セッテングは違っても125と同じサスペンションですが、トルクの大きさに加えて250とは思えない常識を覆す車体の軽さの助けからかガレ場の走破性にびっくり。

 

北海道ではガレ場が非常に少なくあまり経験がなかった。

ですから当初ガレ場ではピックアップの鋭さもあってうまく走れずにてこずりましたが、慣れて力が抜けると、弾かれても怖くない、行きたい方向に行ける。どんどん乗り越えて進み、例えエンストしてもガレの登りの再発進も意外にスムースでした。

 

乗りにくいと感じる鋭すぎるピックアップですが、スロットルワークさえ気を付けて走ればよいのです。また、ピックアップが良いのはトルクがある証明。だから1速高めを自然にしています。

そう、こういった部分を“ライダーを育てる”というのです。

それどころか大きなパワーはどこからでも湧き出てきますから、使いこなせばとてつもないアドバンテージになった。

 

特筆すべきは250の軽さ。

まったく250とは思えないのだ。

実際、マシンを持ち上げるシーンに出くわしても拍子抜けするほどで実体験として一度軽く川から上がる際に根に引っ掛かりリヤを持ち上げる場面を覚えているがが、持ち上がりすぎて前方に投げ出してしまった事がある。

今思えば125に250のエンジンを載せた!って、例えてよかったのかもしれません。

余談

当時tm250エンジンは完成からまだ数年だったからでしょう。ヤンチャなのは事実でしたが、現在というかその後は成熟した大人のような落ち着いた乗り味はこれまた筆舌に尽くすことは不可能なほど素晴らしい250と変貌している。

 

ただ、96のあまりのピックアップというか?レスポンスの鋭さから“デチューン”を施すことにした。

試乗のようなわずかな時間では中々本質など見えません。様々なレベルの方に対しての第一印象を考えたのです。

通常のカーボンリードヴァルブをファイバーへ変更し材質と厚みを変更することにして少々ピックアップをマイルド方向にして試乗していただいた。

余談

以前はキャブやポート加工などのチューンも行ってきたが、tmになってデチューンを考えるとは驚き。

 

確かに96tm125の完成度の高さに対して250の未完成さというかワイルドフィールもtmである。して、2T250が本当の250パワーというものを教えてくれた。

今思えば96の250の価値、存在はとても大きく250と言うマシンの指針となった。

 

125、250どちらにも削り出しハブ、アルミビス、ボルト、ナット、ステンメッシュホース等が当たり前に使用され、そのコストダウンを無視した徹底的な造り、軽量化に満ちたマシンであった。それもまた、感動力の一端でしょう。