tmでなければならない理由。Vol1

先日、日本で最初のtmオーナーになられた方がご自身のFBに96tm125の画像と共に日本初上陸したばかりのtmについて語られておられた。

“イイネ”と共に読み進むと自身も走馬灯のように96tmとの過ごした時間と同時にtmを前に感じた事、過ごした事等が頭を駆けめぐった。

それはとても刺激的でしびれると同時に優美というか甘美な思い出だった。だからでしょう今一度その思い、世界を紹介したくなった。

長文ゆえに数回に分かれると思うますのでよろしく。

バイクで野山を駆け巡るのはとてもスリリング。

単純に愉しいし、特に初めての野山やエンデューロ、ラリーはまさしく冒険であり、痛快さにも満ちている。

始まりは学生時代アルバイト先の整備工場にあった“BS50”にて毎日のように昼休みに近くの山に走りに行ったのがきっかけ。

余談

BS50というのはブリジストン製のいわゆる“トッチャンバイク”でも、愉しかったな~。

当時でも昔のバイクでしたから当然混合仕様。

 

やがてTS50を購入。TSにしたのは単純に当時行きつけのお店がスズキがメインというだけでした。

そんな山の愉しさを知った始めのころは、例えば登れる、登れない。の違い位だけで野山を、思うように感じたままに走破する、ただ走る事が愉しくて、愉しくて仕方なかった。

その時は排気量も関係なく、ましてメーカーの違いさえ関係ない。

そう、バイクはただ野山を駆け抜ける。ダートを、コースを走る道具に過ぎなく、見知らぬ野山を駆けめぐる道具でしかなかった。

して、何より国産車がすべてであった。と、いうより国産以外は見ることも、まして乗ることも当時はできなかったから当然。

 

でもそれなりの種類のバイクには乗った。

その中でも記憶に鮮明なのがエルシノア(MT250)とSL250そしてDR600。

MT250で林道、作業道を軽快に走る愉しさを。DR600では自在にドリフトして走る豪快さを。SL250はまるで戦車のごとく重かったがどこでも登るような走破性は今でも強烈に思い出せる。

しかし、所詮はトレール。

性能、走破性向上を目指して“チューン”に目覚めるが、トレールはトレールであり、レーサー、ましてマシンにはなり得ない。でもその時点ではそれに気が付くことなど不可能だった。

そんな日々での初レースはDT50での3時間耐久が始まりでレースの面白さにはまる。

そして初エンデューロ(第一回84HTDE)はDT200(37F)。

その第一回HTDEにてKTM125に直線で抜かれた情景は今もその時のオイルの匂いを感じるほど強烈な印象として残っている。

 

して翌年KTM250(85年)に素直に乗り換えた。

当時のDT200とKTMの価格差は約4倍強でしたが、見ただけで乗る前から自分の中では価格以上の価値を見いだせていた。

 

して、その第一印象は次元が違う別世界の乗り物ということを知らされた。

それは“腕の差ではなくバイクの差”を、感じさせるほどの違いだったからです。

当然である。

KTMは野山を舞台に戦うレーシング・マシンなのです。

野山も走れるだけのトレールバイクしか知らなかった自分にはまるで別世界、別次元に感じられるのは当然です。

何より野山を駆けめぐる愉しさにマシンを操る愉しみが加わり、意のままに響くマシンは“操る喜び”も与えてくれた。

そう、マシン自体を操ることが痛快で愉しい。

 

今まで改造?それとも改悪なのか?チューンという世界にいましたが、まったく次元が違った。なによりチューンなどまったく無意味だった事を思い知らされた。

まして所詮は素人である。

 

とにかくエンデューロ・マシンは更に心を熱くし、感動すら覚える世界の扉を開けてくれた。

 

また、レーシング・マシンですから毎年進化します。その進化と共にKTMの世界にどんどんハマっていきました。

また、何度か本社も訪ねて技術者と会話したり、世界戦の手伝いもしたりとマシン以上に親しみも感じた。

 

一方で当時、KTM以外にはハスク、クラミット、フサベル、ガスガス等、更には国産逆輸入車もエンデューロブームからレース会場は華やかな状況になり、反面、徐々にトレールは減少していった。

自身もすべてではありませんが様々なマシンに乗ってみた。

しかし、当時はKTMを超えるというか、自分にとって良い、会うと思えるマシンは他には見いだせなかった。

 

しかし、時はとどまりません。

時の流れは経験をもたらし、視野を広げ、成長を見せます。同時に状況も変化させます。

それは90年代初頭KTMの倒産。

幸いな事にイタリア、ドイツ、スペイン等の各国インポーターによって新会社が発足してマシン制作は継続された。

しかし、95モデルに乗って驚愕しました。

新生KTMの最初ともいえるマシンであり、93からの集大成のマシンでしたが好きだった”らしさ”がその95からは見いだせなくなっていた。

勿論、それが進化ともいえますが。

 

以来、様々な出来事が交差しましたが96モデルよりtmを輸入できることになった。

忘れもしない1996年2月初めてtmが(tm125)がやってきた。

インポーターになったという喜びと感動に包まれていましたが、反面、とてつもない不安もあった。

“大丈夫か・・・です。

その時点ではまだtmの乗っていない。そう、乗ったこともなく輸入したのです。

提示された価格はとても高価で商売になりそうもない。と、最初から半分あきらめておりとりあえず自分が乗ればよい。と、思っていました。

 

その理由は。

造りの良さは抜群でしたがKTMより良いのか?壊れないのか?

何より”高価”ゆえに”売れるのか?”

更に自分自身の問題としてインポーターとしてできるのか?やっていけるのか?

 

しかし、奇跡が起こりました。

入荷時点で積雪のために乗れませんのでショールームに展示。

するとどうでしょう!

一週間の間に来社されtmをご覧になられたお客様より次から次にご注文を頂けた。

売る方も、購入される方も、日本人は誰も乗っていない。それより、見たこともないマシンです。

壊れる?部品があるのか、ないのか?

と、いった売る方も自信もなく、先もわからず、そして高価にもかかわらずに、一週間で確か4台だったと思いますが、ご予約を頂いたのです。

そう、不安を感じている暇などtmが入った時点でtm自身が放つオーラ、魅力的なフォルムがすべて払拭したと言ってよいでしょう。

 

ちなみに96モデルの総輸入台数は僅か7台。

 

下記はFBの投稿(原文のま)と96の画像です。

 

イタリアのtmレーシング社が製造する世界最高性能のオフロードモーターサイクルの輸入元が、なんと栗山町にあります。

1996年から輸入を開始し、初年度は2ストローク125、250合わせて7台の輸入からスタートしましたが、なんとユーザー第1号は私なのです。

tmなら125と決めていた私は、目の覚めるようなフラッシュピンクのマシーンに跨がり、オフロードをかっ飛ばしていました。

250の暴力的なパワーと違い、エンジンの出力がロスなく綺麗に路面に伝わる爽快感。

胸のすくような加速フィーリングと、シビれるようなエキゾーストノート。更に圧倒的な走破性能の素晴らしさは、世界で一番速いのは俺なのではないかと勘違いさせてくれるものがあり、「打倒、ポール・エドモンドソン!」と叫びながら、「ひとりエンデューロ世界選手権」を満喫していました(笑)

その中で印象に残った出来事のひとつ。

いつものように週末のオフロードライディングを楽しんでいると、スズキTS200Rに乗った2人組に出会いました。

その2人はオフロードライディングを始めたばかりで、私のマシーンはなんというメーカーなのかと尋ねるので、イタリアのtmというメーカーだと答えると、ポカーンとしています。

それもそのはず、その時は雑誌にも紹介されていなかったので、存在を知るものはごく一部でした。

価格も当然質問されたので、車体価格のみを答えると、「えーっ!?」という驚きの声(つまり高額)が。

しかし車体をしげしげと眺めていた2人は、「あっ、この造りなら、この価格は当たり前です」と納得したのです。

随所にアルミの削り出しパーツを使用した贅沢な造り。マルゾッキやオーリンスのサスペンションが標準で装備され、市販の状態で世界選手権に出場でき、しかもそのクオリティーはワークス同様なのです。

ところが当時のオフロードライダーの中には、良い物を良い物として認識できない、あるいはしようとしない者(早い話がケチ)がいたのも事実ですが、この2人は前年までリッターバイクに乗っていたライダーで、オンロードライダーならではの良い物を素直に認識できる「目」を備えていたのです。

さすが、分かる人は分かってくれると嬉しくなりました。

このように、走る喜びと所有する喜びを与えてくれるオフロードモーターサイクルに出会うことができたのは、ひとえに輸入元であるうえさか貿易代表の上坂氏のおかげなのです。

現在オフロードライディングから遠ざかっている私ですが、映像などで走行シーンを見ると胸がときめきます。

そして心の中で叫んでいます。「イーロ・レメス頑張れ!」と。

https://www.youtube.com/watch?v=rcNryJAlsy4&t=76s