法話

オイオイ、一体どうした?

と、思われても仕方ありませんが、人間の死亡率は100%ですからさける事は出来ません。そんな事を考える事が重なったので思わず。

ふと気が付くと周りには“住職”と、呼ばれる友人たちが多い。

普段を知っているから特別何も感じないが、その中にやたら法話の上手いというか、これこそ法話と言えるような、感心する話をする友人がいる。

腹の立つような下手糞な法話をするお寺さんが多いのですが、本当に感心するような正に法話を聞かせてくれます。

余談

残念ながら当方が檀家でないのが、ちょっと悔しい。と、言うのも自分の葬式の法話は彼にお願いしたいと思っているから。

でも、同級生だからどっちが先かわからないが?

 

その住職の法話の中での“自分が今日亡くなる”など考えて逝く人はいない。と、いう一説が妙に記憶に残っています。

 

実は昨年末から毎月の様に“知り合い”が4名ほど続けて亡くなった。しかも皆50代という若さである。

自身、死=無だとおもっていますから、若かったからさぞ無念だっただろうとか、思いに半ばで悔しかっただろうと年齢だけで計る事はできませんが、通常50代でのお別れとは家族には中々受け入れられません。また、実際その彼らの仕事などの状況を知っている悔しさを感じます。

 

さて11日よりスペイン、フランス、イタリアを渡る旅に出かけてきましたが前代未聞の体調不良に重なってしまった。

 

幸いだったのが“船旅”ですから、具合が悪ければ“ズーっと寝ていられる事”

また、時間を気にせずにドクターの診察が受けられる。

 

しかし、その内、食欲も失い、高い熱と痛みで意識の朦朧とする中、“おれ、死ぬんだ”と感じたのも覚えている。帰国早々、病院に駆け込み今は検査結果を待っている状況で原因不明の体調不良ですから実は今も戦々恐々としています。

 

ただ、船医(イタリア人)のドクターらしさです。

船の中ですから応急処置と言うか、対処療法でしょうが全身を触り、補聴器をあて自身の手を使って診察されるのは久し振りです。

 

その時点で注射2本(二種類?)と、ひとしきり薬アレルギーだの、他の薬服用の有無を確認されタブレット錠剤を処方された。

 

その注射後の劇的な効果はまるで奇跡の様でした。

注射から2日間は全く“治った”って感じでしたが、残念ながら完治には至らず現在も体の痛みと熱に苦しんでいる。結局、都合3回注射を打ちました。イタリア人女性ナースも仕事が早くきびきびしていました。

余談

帰国後、日本のドクター(二か所)行きましたが、触診した医者は0。また、1時間も待たせておいて結局処方された薬が判ら無いからと診察その物を断られたのには正直驚いた!日本の劣化はここまで来ていますね。

 

しかし、振り返っても旅先にてここまで具合が悪くなった事はなく、途中帰国も検討するほどでした。薬と注射のおかげか?何とか予定はクリアー。何より、それも同行者あればこそ。

ただ、同行者は大変な思いだったと思います。改めて感謝しています。

 

さて、食欲もなく朦朧としている中にこのまま俺って死ぬんだ~。って、思いがありましたが、別にあー、すればよかった、こー、すればよかった。って、後悔などは全く思わなかった。ただ自然に無くなる(消えゆく)って感覚になったのを覚えている。

最もそれが本当に死に至る?かは、判りませんが、偶々知人たちの訃報を聞いた翌日の旅立ちだったからかもしれません。

 

確かに明日は誰も判りません。また、誰も明日が無いなど思ってもいません。まして今日死ぬなど思ってもいないでしょう。

また、もしもそうなったとしても苦しみも多分ないとおもわれる。

だから、安心して浄土に行けるとは言っても生きている時間は日々少なくなります。して人生は一度しかありません。

悔いが無いようにではなく、幸せな気持ちの中、穏やかに逝く為にもいかなる思いは残したくはないですね。

幸いにもすでに自分には残している物というか、事はおもいあたりませんが。

 

改めてご冥福をお祈りします。

合掌