と、すったもんだ言いながら結局、2004年に正式に株式会社設立、オフィス・テルと呼ばれるオフィス付きマンションも借りた。
IT立国を目指す国らしくネット環境、電話などは“あっという間”に完了。
オフィス用品、家具、TVと言った生活用品の買い物、設置なども含めて半日ほどですべて終了。
ちなみに韓国でのわが社の所在はソウル市江東区(カンドン・グ)チョノドン。
ソウル中心(東大門)までは地下鉄で15分程。この場所にしたのは単純にAのお店の近くで決めた。
余談
ちなみに韓国で株式会社設立の当時、最低資本金は当時5000万ウォン。日本円で約500万+円。日本では1000万円の時代。
で、この資本金がなくなったら撤退を決めていた。
タクシーは安く便利だが何せ車その物に危険を感じるし、加えて運転が怖い!
ま、車もないと困るので後日帰国した際に下関からフェリーで持ち込みました。
購入も考えたが、韓国車は安全性に関わる部分が怖い。また、輸入車は高価で、壊れた時に直せない?場合もあると自分の車を持ち込んだ。
余談
韓国では日本のナンバーのまま走行可能。(持ち帰るのが前提)最近は2輪車もOKとの事。
日本車は傷つけられると言いますが、日本のナンバーなら逆に安心!?って、話でした。
先のチャンプ(以下A)の店を起点として韓国にtmを紹介するべく仕事を初めた。輸入とプロモーションは韓国での株式会社うえさか貿易(日本と同じ社名)、販売、アフターはAのお店。
で、とりあえず雑誌には毎月広告展開。また、雑誌社の好意もあって“日本のエンデューロオジサンのオフロード日記”と、して毎月見開きページにコラムも連載。
ま、与太話みたいなものです。
レースには語学留学を兼ねてtmユーザーさんのご子息のIBライダー(以下M君)にtm125で走っていただける事になった。それとAはtm250にてtm Korea チームにて活動。
色々と泣き笑いもありましたが最終的にM君が2004年の韓国エンデューロの年間チャンプに。が、デフェンディングチャンプのAが面白くない。
目的はtmを韓国で拡販する事ですがAはそれが理解できない。で、M君に対してもイジメというか、意地悪が始まった。
また、tm+日本人ライダーの走破スピードが違いますから当時の韓国人ライダーは全く歯が立ちません。だから、勝つと言っても“ぶっちぎり”。結果、彼の周りにも良いも悪いも様々な人間(男も女も)が集まってきます。また、背も高く、若くてルックスも良かったので女性とのうわさも即日立ち上がった。
それもまたAには面白くなかった。
ま、M君にしてもかなり刺激的な出来事満載だったでしょう。また、行動力が素晴らしく18才という若さで初めての外国一人暮らしを乗り切り、また、日本からトランポとしてハイエースを持ち込み韓国のレースを戦った。
余談
M君も私もKMFよりいわゆる“国際Aライセンス”をいきなり与えられた。イヤハヤ、驚くほどなんでもありの世界!
また、タイのエンデューロチャンプから“tmをタイで売りたいから話し合いに来られないか”と、の依頼からソウルからタイのパタヤに出かけた。
が、売れる前(というか、仕入れ前)から儲け、税金逃れ、金額のごまかし(脱税の手伝い)を要求された。
そう、またしても話し合い為の話し合い状態。ま、何処も同じです。
国は違うが納税は義務。
その販売のベースにある国に納税したくないという人とはビジネスは出来ないというか?出来ても継続は無理なのは100%無理と、またこちらの条件は譲らなかったのでタイでの話は無くなった。
折角のパタヤですから、その後はバカンスとしてタイカブの二人乗りでパタヤの町を愉しみました。
思えば、継続を考えなければよかったのですがね・・!
さて
韓国各地のレースは何処に行っても宿泊はモーテル(ラブホ)が当たり前とこれまた刺激的。が、円形回転ベットにM君と男二人っていうのは流石に勘弁と別に部屋を取った。
余談
確か今話題の平昌の近くで開催されたレース参加の為にモーテルに泊まった際。
なんと受付のバーチャンが在韓日本人。全く言葉が見えずにいた我々はずいぶん助かりました。日本にも在日がいる様に朝鮮にもこの様な在韓という方も沢山なのでしょう。
また、プサン近くのレース時近所のラブホの3階に泊まった際、外から男女の怒号が聞こえた。窓を覗くとなんと男が女性を殴っているではないか!
それもグーで。
多分、ホテルに入る、入らないという“痴話げんか”でしょうが、いや、本当に面白いと言えば面白い国です。
また、ソウルから一時間くらい離れた峠にてtm530SMMと日本車の合同雑誌テスト。で、何故か?お笑い芸人が同行。
テスターはお世辞にも上手いライダーではない。また、カッコ良いと思うのか?必要以上に飛ばすのでとてもハラハラ。して雑誌取材は例えば同じコーナーを何度も走りますから本人もドンドン慣れるのか、調子に乗るのが手に取るよう。
そんな光景を見てMと顔を見合わせながら、“その内飛ぶね~”なんて話をしていました。
それくらい“クラッシュ”と、となり合わせ状態ですからSMMで転ばないで!と祈っていた。
して、予想的中しかも大クラッシュ。
その時の乗っていた日本車はホボ全損。当然、大怪我していましたが、まさに起こるべきして起こった事故の典型を目の当たりに。
日本車には悪いが“良かったSMMでなくて!”と、思ったのも覚えています。
と、ま、中々経験できない事も多々あり、不謹慎ながら愉しい思い出です。
なんていうか?彼らの行動は結果が見える。と、いうか想像できる、期待どおりに事が運ぶというか?
先のクラッシュの様な部分もそうですが、例えば、先のテゲロの不動産王に帰国の挨拶をした所“ハジメさん、韓国人で迷惑をかけた人いないか?”と、聞いてきたので、これは利用しましょうと、“パクさんが買うっていうバイクがあるのだけど結局パクさんと連絡が取れないで困っている”と、いうと案の定、“それは失礼した。して、そのバイクは幾らだい?”と、訊かれたので1500万ウォンだよ。と、いうと予想どおり買っていただけた。
その場で携帯ネットバンキングにて振り込み。しかも一切値切らないと、いう金持ちをこちらの想像どおり演じていただけます。
なんともそういう事ができる自分を?というか、力を見せたいのでしょう。
不動産王のリーさんは実際もかなりの名士であった。
車はメルセデスのマインバッハの特注モデル。普段はポルシェ・カイエンって具合で彼の別荘というか山荘にも招待されたがエンデューロが開催できる程の広大な敷地。
そんな彼のオフィスに行くと真空管アンプが有ったので自分もオーディオが好きだよと言うとカイエンでその真空管アンプメーカーに連れて行ってくれた。せっかくだし韓国進出記念という事からアンプを特注製作依頼。
してリーさんいわく、そのアンプはヒュンダイ会長もオーナーでファンだという。
確かにオオッと引くほど高価で購入する、できる人はかなり限られるでしょう。事実このキムアンプは韓国の金持ち社会の中では一つのステイタスだったのは他のオーディオショップでも確認できた。
ちなみにそのアンプは今も使用している。
このリーさんだけにはまた会ってもいいな。と、感じます。
余談
ちなみにそのパクという人物は焼酎会社の専務(社長だったかな?)という触れ込みの韓国での名士と紹介された人物である。我々は“焼酎パク”とか“金持ちリー”と呼んでいた。(とにかくキム、パク、リー等)同じ名前が多すぎ)
話しは変わって
韓国には当時ハイ・オクタン・ガソリンがありませんでした。正確には販売はしているが取扱店が非常に少なく首都のソウル市内にも数件(当時)。
余談
しかも、確かリッター5~600円と非常に高価。その為、ハイ・オクタン・ガスを販売しているSSではホットパンツ、ミニスカートの若い女性がコーヒーサービス。そのSSを利用するのがステイタスというか見栄というか、何でもカッコつけたい人々のプライドをくすぐる作戦です。
そのSSに行くのがステイタス。ハイオクの車(輸入車)に乗るのもステイタスと言う訳です。
しかし、私たちが一緒だとハイオクを使うが一時帰国等留守にするとレギュラーを使用していた。また、使用オイルである。
2Tにはエルフとかシェルのレーシングオイルを使うが、何故か4Tにはリッター200円ほどの韓国カブ用のオイルを注入しているのにはさらにびっくり。勿論、使用オイルを説明していた。また2T同様にエルフ等のオイルは販売されていおり、ちゃんと使っているライダーも多かったのでAのレベルと言うか、レーサーを扱うレベルではAはなかったようです。
その為に、聞いた事のないトラブルが続々発生しました。
例えば2Tは振動が多い。マウントボルトが緩む。パワーが伸び無い。
4Tに至ってはカムに傷が入る、カムチェーンが固着する。タペットキャップが割れる!音が出る。回らない等々
当初はまさかそんなオイルやガスを使用しているとは夢にも思っていませんでしたから、知った時は悲しくなり、同時に呆れ、怒りさえ覚えた。
散々、オイルと燃料の大事さを説明しても守らず、しかも何かあったらクレームという世界。
こんな状態ですから漏れてもいないのにフォーク整備、つまり、フォークオイル交換などを説明してもキョトンとしていました。
そう、それまで韓国ではフォークオイル交換などしていなかった。
もし、今彼らがそれを行っているとしたら、それは我々から伝わった事。
そういったマシンメンテ的な部分も雑誌記事としレース用マシンと実用車とは違うのだよと実車にてフォークオイル交換の実演もした。
しかし、月日を追うごとに。
彼らのプライドというか、自意識の異常に高い部分と裏腹の無責任さ+身勝手には本当に腹が立ってきた。
実際、ベースからそうであればよいが一山5円くらいのチープなプライドというか、先にも言ったがタダの“良いカッコし”だから余計鼻につく。
確かにそこいらをくすぐりうまく持っていけば、それなりに売り上げに繋がった。でも、それ以上にそれまでの事も重なりどんどん韓国というか朝鮮人社会が“イヤ”になった。
言い方が憎たらしかったので良く覚えていますがボーリング場を何店舗か経営している者が、売りたければもっと金を落とせ。と、言う言葉は未だに耳に残っています。
また、販売が伸びない
当初はJの関係から多少は販売できたが、それが落ち着くと毎日、韓国のtm代理店は店先に座って煙草をふかしながらTVを見ているだけ。
大体、最初は物珍しさもあってソコソコ売れる物ですが、そのソコソコが全くない状態です。
して、韓国全国テリトリーという契約(それも相手の望んだ)でしたが、全く営業努力はない。
雑誌広告から実際には問い合わせも多く“直接弊社に対して売ってくれ”と、言う人たちも現れ、当然、紹介したがそれでも仕事は進まない。結果、契約解除を申しいれた。すると今まで使ったお金を返せと逆切れ。
いわゆる義務は果たさず、努力もせず、権利だけは主張。
そう、まさしく・・です。
また、問い合わせも質問が多すぎで“購入しない為の質問か?”と、思う程に質問が多い。最も質問の多い人ほど購入につながるのは難しいのは何処の国も同じですが。
また、商標登録。
Jが商標登録は大事。マズイ事になる。
と、いう。確かにそれは肌感覚でわかるが、その時点ではまだ会社が設立できないので弊社は商標登録できません。すると、弊社に変わってJの会社が代理で取るからその後、名義変更すればよい。と、うるさいので承知したらその後Jと連絡が途絶えた。つまり、J自体がマズイ、やばい。
結局、Jは子分の韓国チャンプを出汁にして販売権を手中に。また、商標権を取ることによって高値で弊社に売る。もしくはtmを輸入する権利自体を取るつもりだった。
つまり、どうやっても利益が出る様に画策していたのでしょう。私に紹介した韓国経済界の面々にしても私を信用させる餌に過ぎなかった。
また、彼らにしたら日本人の友人(しかも韓国に進出している)というか、いつかは使えると、思ったのかもしれません。
日本と違って韓国では商標権を持っていない者は輸入できない。と、いう絶大な効力があります。勿論、抜け道はあるでしょうが。
結局、世間知らずで平和ボケしている日本人の私は簡単に引っかかったわけです。
当然、tmと連絡を取って商標権を取り戻すべく異議申し立てを行ったが、その弁護士というのがまた曲者。我々が雇ったにもかかわらず同じ韓国人Jに有利になるように時間稼ぎをされて間に合わなかった。
ただ、やはり考えが甘いというか?おつむが?と言うべきか?
いくら商標権を取った処で正規に輸入できない。つまり、意味ない事が判っていない。また、権利者(tm&弊社)が裁判を起こしたら勝てないのは明白。ただ、弁護士は日本人でなければだめですが。
このような事を繰り返していたら将来的に自分の信用を失うだけでしょう。
また。
ある日、1000万(日本円)以内にてハ○クを10台入れてくれないか?と、いう耳を疑う依頼が舞い込む。流石にここまで来たら彼らの考えている事は手に取るようにわかっていました。つまり、騙すつもり、もしくは話だけでしょうと“前金ならいいよ”と、言ったらそれで終わり。とにかく、人を利用しよう、騙そう話は良くやってきました。
今、慰安婦問題が蒸し返されています。
それを“なるほど、当たり前”だと今まで読んでくれた方は少し感じられたでしょうか?
彼らは日本から、日本人には何をしても良い。と、言う意識がDNAに組み込まれているのではないか?と、感じる程。
とにかく、我々の感覚ではうるさく、しつこく、ずるく。そして何より図々しく、いやらしい。
余談
地元だから、地元人がやっているから、友達だから良い意味で利用しよう等の人情の部分が全くない。それどころか友達だから安く!とかタダで?が彼らの当たり前。
悲しいかな、あんた地元で頑張っているから買うよ。とか、友達だし定価で買うよ。安くしなくてもいいよ。なんて話は全くない。
とにかく自分が得する事しか考えない人々で構成されている国と、言う印象。
最も、最近は日本もそうですが。
余談
この暇つぶしから同じく韓国社会を知っている方から次の意見を頂いた。
95%の韓国人は日本人的に悪い人、あと5%が良い人。
僅か数年しか朝鮮、韓国とかかわっていませんが、あの社会をいくら述べても、例えばこの100倍以上の時間をかけてもあの国を、人々を表現する事は中々文面ではできない。
だから、コンサルタントとして日本との違いをお知らせできるなら、お知らせしたいという気持ちです。勿論、朝鮮に限りません。
日本の常識、世界の非常識と言われているほど日本は今まで平和だったのです。
今の日本を取り巻く状況から明治維新同様に何かしらの維新が必要な状況でしょう。
日本にいたら判りませんが世界は変わり、この十数年の中国、韓国の台頭に伴っての日本に対するロビー活動によって世界の日本、日本人に対する評価、見方は驚くほど変わって来ています。実際、日本の価値はどんどん下がっている。
2006年には撤退。
商売というかお金を稼ぐ目的だけなら彼らのプライドをくすぐれば何とかなる自信もありましたが、とにかく“もうイヤ”という部分が大きすぎた。
ただ、何時か見返してやろうか?って気持ちもあって会社は休止状態で残しておりますが。
帰国の日のお天気や情景は覚えているくらい。それくらいうれしく、ほっとしたのでしょう。持って行った車にてソウルからプサンまで走り、フェリーにて帰国。
下関から愛媛をかわきりに秋田まで韓国のりをもって一週間かけて販売店をめぐり帰ってきました。
車も久し振りに日本のハイオクを焚けたからでしょうか?それとも車もうれしかったのか?とても調子良く伸びやかな加速が気持ちよかったのを思い出します。
さて、長い、与太話にお付き合いいただき感謝。
終わります。
PS 2004年もアジアインターナショナルに参加しました。
この年は250Fで参加しましたが、途中体力不足から川に落ちてチェンマイ・メモリアル
病院に救急車で運ばれた。翌日にはレース復帰しましたが、バッテリー端子破損という些細なトラブルでエンジン途中ストップで最終日にリタイヤ。どうも、タイのレースとは縁はありませんでしたね。
また、2005年もtmチームとして韓国人と組んで参加。自分は監督で出かけました。
結果は最高位総合2位でした。(2T tm250日本人です)
ま、色々な出来事があって得難くも愉しい日々でした。
PS
年代の勘違い、話の後先が変わっている場合があります。すべて事実ですが与太話としてお楽しみいただけますようにお願いします。