今はデジタル化となった写真ですが部屋を整理している時などに昔のプリントされた写真などが出てくると思わず見入って整理の手が止まったりは貴方にも経験があると思います。
そう、そんな写真を手に取ると瞬時にその場面、状況というかその時間にタイムスリップしますね。そう写真一枚で思い出に浸れるのはなんと幸せな事でしょうと感じたお話。
先日、古い部品を保管してある自宅横の倉庫に部品を探しに行きました。その最中に元来、大雑把な性格が災いしたのでしょう棚の一番隅にあったダンボール箱が落ちてきた。(落とした!)
アチャー、仕事がふえた!
と、落ちて蓋が開いた箱を見ると「何時かは整理しよう」と考えていたであろう「古い写真」が満載。しかも一部散乱して出てきました。
とりあえず散乱した数10枚程度を箱に戻そうとしたら、以前探していたtmの写真がでてきた。
それは初めて1989年のミラノショーに出かけた際に衝撃を受けたtmを撮った写真。
何故探したのか?
それは、何度か与太話で紹介させていただいた「tmとの出会い」の際に画像を添付したかったから。
しかし、どのアルバムを探しても出てこなかったので正直あきらめていたのですが、まさか部品庫の片隅の段ボール中に入れてあったとは想像すらできなかった。なにより、その箱の存在すら覚えていませんから当たり前の話ですが・・。
その画像がこれです。


tm80のモトクロス&エンデューロモデルです。勿論、フルサイズ。
89年のミラノショーの出展ですから90年モデルになりますね。
また、記憶では125MXは倒立サスペンション、アルミタンク仕様もあったと思うが、とにかくその美しさは衝撃でした。
芸術的に美しく溶接されたチャンバー、削り出しハブの光り輝く美しさと真っ赤な外装のコントラストに感激した記憶が沸々とよみがえります。
特にENモデルのアルミスタンド&サブフレームの美しさにはため息がでたものです。
その後、当時、一緒に出掛けたトシ・西山氏に「tm輸入してよ」なんて話をしていたのも今は懐かしく思い出せます。
その6年後にまさか自分がtmを輸入するなどとは想像どころか夢にも思わなかった。
当時、125で1500万リラくらいですから日本円で140万くらい。
同じくktmは900万リラくらいだったですから日本じゃ売れないな~なんて思った記憶もある。
余談
実際、当時(90年代初頭)に輸入されたYZエンジン搭載のクラミットで130万、フサベルに至っては195万程度が当時の日本国内での販売価格だった。
と、tmを筆頭に初めてのミラノモーターサイクルショーにてカルチャーショックを嫌という程受けてしまった。
また、同じ89年6月インカラリーから日本に戻る際に立ち寄ったアメリカの業界でも今までの常識というか「日本の常識、世界の非常識」を改めて肌で感じた。
同時にモーターサイクルの歴史、文化の深さには感動すらおぼえた。
勿論、日本の良い悪いではなくこれが世界のモーターサイクルの歴史であり文化という部分です。
さて、89年以来すっかりヨーロッパにほれ込んだ自分は91年にも同じように出かけた。
そこでは更に刺激的な経験を味わった。
それは交通事故。
フランクフルトの空港よりピックアップしたレンタカーは憧れのBMW525。
しかもまだ4000㎞程のおろしたて。
小さな日本のバイクショップのオーナーには高嶺の花のBMWと、言うのもあって私は意気揚々とトシさんと友人3名で一路ウィーンへとオートバーンにノーズを入れた。
初BMWしかも525という事でワクワクして乗りました。
それはBMW525と言えば日本では高性能の代名詞という意識からですが加速は意外に物足りない印象だったのを覚えています。
その時の画像

ドライバーは私。170㎞程で走っています。が、態々写真に残しているなんて若い証拠ですね。尚、こんな画像があるとはすっかり忘却の彼方でした。して、瞬時にその状況がフラッシュバックします。
この後も画像の様に180㎞前後でクルーズしていましたが燃料補給にサービスエリアによった。
私とトシさんがドライバーとして国際免許を持って行ったが、もう一人の友人は免許が無いという。
しかし、せっかく速度無制限のオートバーン、しかも車はBMWという事もあって乗ってみたいだろうと「運転してみる?」と聞くと「うん」と、言うのでステアリングをゆだねた。
すると、その友人は決して運転が得意ではなかったのであろうが、飛ばすのが当たり前の我々の手前もあってか?どんどん加速する。
正直、ちょっと怖いな~。と、後悔するも今は如何にもできない。無理しないでと、目をつむってサイドブレーキに手を添えていた。
やがて車が蛇行している感覚から目を開けるとメーターで160㎞というのが目に入った。同時に大きな修正舵を当てるが瞬間、スピンモードになってセンターのフェンスに左リヤから激突。
その反動でリヤから路肩にリヤから突っ込んでいった!
瞬間、サイドブレーキを引いたのを鮮明に覚えているが路外の畑に中にリヤから落ちて止まった。
本当に運が良かったと思う。
まず、後続車がいなかった。もし、スピンの最中に後続車が突っ込んで来たら速度が速度故に大けがでは済まないであろう。また、落ちたところがなだらかな斜面から比較的フラットな畑だった。
160㎞でスピンしてフェンスにぶつかって畑に落ちでけがもなく、しかも自走可能って、すごいしょ。
この時から車はドイツ車というは刷り込まれたようです。
つぶれて折れ曲がったフェンダーがタイヤに干渉するが近くのスタンドでバリとハンマーを借り受けて修正。
その後、一般道からまたオートバーンに乗ってフランクフルト空港のレンタカーオフィスに戻り事故報告するも事故原因は「雪に滑った」とした。
いくら保険に加入していると言ってもそれ以上何も聞かず代替えに同じBMW525のキーを渡してくれた。

余談
言葉が満足に通じないからから?だと思うが余りにも簡単でびっくり!
この出来事もあって以来車はドイツ車、レンタカーは「ハーツ」になっている。
高いけどね。
尚、責任はすべて私にあるのは間違いない。後でトシさんから怒られはしないが甘さを指摘されたが、本当に何事もなくてよかった。もしかしたら、もしかしている・・かもしれないのです。
いや、生きてきた。生きる。というのはつらい事もありますが愉しいですね!