Going to Past.

最近、懐かしいというか?自分が過ごしてきた時代を遡っている。

と、思える事ばかり感じる場面に出合います。

例えば。
先日、友人から電話があって久しぶりに駄法螺を語りに出かけた。

そこには自分が三十数年前に所有し、林道の楽しさを教えてくれた“エルシノア250”が、佇んでいた。


入手した時でもすでに生産中止から10年以上も経過したバイクでしだが、この“エルシノア250”にて随分、山の中を走り回った。また、愉しさを教えられた。
当然、走行するというのは=消耗しますから、随分、修理にもお金がかかった記憶がある。

それは気にいっていたから他ならないが次のマシンを入手してからも“レストア”よろしく、機関等は徹底的に整備するつもりだったが最終的には置き場所に困って現オーナーに引き取ってもらった。

 

しかし、そのオーナーもシートの張り替え等それなりに手入れしたが現役時代の忙しさから乗る訳でもなく車庫の片隅にて佇み時間だけが過ぎてきたようです。


ただ、放置されているのではなくちゃんと毛布にて包めっていたのはマシンに対する気使いを感じますが。


そんなオーナーとエルシノアを前に話し込んでいくと、オーナー氏自身気が付けば改めて自分の年齢に驚き、もう、このマシンを見てもときめくと言うより、がっかりすると言うのか?もう思うように乗れないという寂しさを受けている。と、言うのが良く判ります。

 

私自身は“懐かしさ”というか、このエルシノアと過ごした時間(ライディングやメンテ)が走馬灯のように浮かび上がってきました。
それは、それはまるで先日の日曜に林道を走ってきたように鮮やかによみがえるのには自分もびっくり。だって、ついさっきまでそのエルシノアの存在すら忘れていたのですから。


そのエルシノアがまた手元に戻りそうである。
正直、エンジン始動はするであろう。また、敷地内くらいは走るかもしれないが、通常の走行、つまり、乗るなどはあり得ない。が、エルシノアとの時間をまた過ごしても良いかな?なんて考えています。


このエルシノアで冒険ともいえる林道を走破、未開ルートの開拓など現在の自分の礎となったマシンの一つですから。

 

それと雑誌
カー・グラフィック(CG)は18歳から購読している唯一の雑誌。
他にも当時は月に二回発売されていたドライバーと言う雑誌も学生時代から大好きな雑誌でしたが、いつの間にか愛読しているのはCGだけになっていました。

 

しかし、気が付くと今毎月ドライバーを読んでいる。
昨年くらいまでは車雑誌、バイク雑誌に限らず雑誌の中で現在目を通すのはCGだけでしたが、いつの間にかドライバーが毎月やってくるようになっていた。


当初、ドライバーも全く開封することもなく他の雑誌同様に“資源ごみ”にまっすぐでしたが、偶々、封を切ってパラパラとめくっていると妙に“懐かしさ”を覚えるでありませんか。

 

はて?どうしてかな、と、興味のある車のインプレなど読み進めると昔よく読んだ雑誌と言うのに気がついた。
そう、学生時代に読み漁っていた文章というか、文体というか誌面の感じがフツフツとよみがえってきます。そう、中身が40年経過した今も同じなのに気が付いた。


して、なにより、懐かしいというより、今尚愉しいのです。
40年以上も継続できるというのはやはり雑誌として“本物”なのでしょう。その価値に脱帽です。

 

反面、CGはもうやめようか?と、考えている。
ドライバーと同じく半世紀にも及ぶ歴史を持つ雑誌で今の編集長は最初の編集長から数えて何代目か忘れたが昔と基本ポリシーは変わらないようだが“何か”ときめきを感じない。それどころか実は相当前から“異質なお高さ”を覚えるようになっていた。


CGは昔から、マニア、エンスー、外車好きの雑誌でお高いイメージがあったが本当の、雑誌としてのポリシーに加えて高潔な部分も感じたし、勉強にもなったからこそ40年以上も購読してきたが、残念がら今は何も感じない。


それどころか読むのが面倒になる部分も増えて、加えて日本の雑誌特有の裏が見え隠れするよう。
確かにそれなりにバイヤーズガイドとして最高峰だろうが昔とは違う何かを感じる。

そう。情報の質は確かに高いが、為になる、有益な情報が無いような物足りなさでしょう。ま、自分にとってですが。


それが、ドライバーを読んで一気に弾みがついた感じである。
早い話、ドライバー誌の昔と変わらぬ感覚が、それでいて読者の欲しい情報がきちんとあるのがうれしい。

 

現在は昔の道具や物よりは遥かに良い物、良くなった、便利になった道具だらけ。
反面、不便だとしても人間の使う物、道具の中には昔の物、道具が良いのもあるのもまた事実。

また、昔からの味、伝統を保ち進化している物や道具もある。


例えばtmである。
96と言っても古さも感じずに愉しさ、面白さは現在のマシンと全く同じである。
また、最新鋭tmである。
他と比べても新機構に溢れていますが20年前のtmと同じテイストを味わえる。と、いうか間違いなくtmだというのが時代を超えて伝わる。


これって、同じブランド、同じメーカーが継続しているからでしょうが、これは今やtm以外にはあまりない。

 

そしてレコードである。
昭和時代のレコードを買っている。この数年で300枚くらいは購入したかもしれない。

すでに中古ですから“聞けない”のも沢山あるが、欲しかった、聞きたかった、昔から好きだったが忘れていた曲に出会ったりすると一気にその時代に戻れ、その時の情景がよみがえる。

 

それがたまらなく今の自分には心地よい。と、いうか、その時間に魅力と価値を感じます。

ただ、その価値は絶対的な音の良さと、いうか”生音”が必須なのも事実。

 

CDも装置にこだわればかなりのレベルですが、生音に近く音楽を楽しむ部分では使い勝手意外にレコードにはかなわない。


携帯音楽プレーヤーは確かにレコードに匹敵するが、超えない。まして圧縮したら論外。
ハイレゾは人間の可聴範囲を超えるというが聴く限り良いとも、欲しいとも思わない。


やはり、レコードが素晴らしい。

して、やっと装置がアナログならではの“生々しさ”を表現できるようになったから。

と、言うのもあるが当時の本物といえる空気感を味わえるのが、とてもとても心地よいというか、“居心地”が良いのです。

 

また、昔は気になっていたレコード特有のノイズにも情緒を見出せる。

昔話、昔を懐かしむ?と、言うのとはちょっと違う。何やら今まで過ごしてきた時間を遡っている感覚なのです。しいて言うなら“昔に向かう?”ようであり、それがまたとても新鮮にも感じる。


幸せな時間を過ごせているような気がします。